高齢者にはAI化は逆に不便では?

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ここ最近AI化され便利な世の中に成ると強調する報道をよく目にする。これって本当に便利なのだろうか。

技術の進化は人々にとって便利になり、自力で行っていた日常生活を昭和30年代の家庭電化製品の出現で我々の生活はかなり便利に成って来た。調理は電子レンジ、掃除は掃除機、洗濯は洗濯機…。これはすべて人力で行っていたものである。

この時代がズーッと続いて来た。少しづつの機能の追加はあれど画期的に変わっている部分は無かった。

 

それが次の形では完全にフィニッシュまで完結する所まで行く。調理における電子レンジは具材をセットし何を作るかを口頭で話しAIが判断し調理完了まで済ます。掃除はすでに自動掃除機ルンバなどが自動掃除を既に実現している。次の段階ではゴミ取り除き、頑固汚れは拭き掃除、ワックスまで完全なる自動掃除機の登場を待つばかりである。洗濯もほぼ完成しているが全自動洗濯乾燥機がそれで、次の形はそれプラス洗濯物をたたむ機能を加えること。もしかしたらこれらは既に完成しているのかも知れない。

 

 

とても便利素晴らしいだけでは済まない部分がある。その機能をどんな人でも老若男女問わず使えるようにしないと意味がないのだ。近頃の世の中を見てみよう。例えば駅の乗車券売り場、様々なスイッチが多く初めて操作する人が自力で完了させることが出来るであろうか。自動販売機である以上どんな人でも操作できなければ機械での役割としては無意味その操作を説明する人力が必ず控えていなければならないことに成る。 

 

世の中は2つに分かれていて、80代でもパソコン、スマホを簡単に操作する人と、パソコンもスマホガラケーさえも操作が出来ない者。同じ高齢者でさえこの様な現状である。やる気は人によりかなりの格差があることになる。このように操作の出来ないものは社会の「便利」という部分からドンドン疎遠になり楽して便利に暮らせる現代の恩恵をまったく受けられず昔ながらの生活を余儀なくさせているのだ。

すげてが「やる気」が根源にある。どうすれば良いのだろう。やる気のない人が便利だからと言っても「出来ない」「難しい」とその恩恵を遠ざける現状。

 

この問題の根っこの部分は実に単純である。高齢者に便利とうたっている製品は高齢者の気持ちになって作られてはいないという事である。高齢者は字も見えないのだ。新聞の広告を見てもらうとすぐに分かるが、様々の情報を限られたスペースに書き込む為文字が多くその上その文字は目のいい人でギリギリ読めるような大きさ。注釈事項は義務のためかクレーム防止のためか最も小さい文字で延々と書き込まれている。携帯電話に契約時の注意事項や約款の文字を実際熟読や流し読みでもする人は居るだろうか。まったくもってナンセンスな時代と成ってしまった。

ここで取り上げた2つのポイント1番目、高齢者が使えない便利製品と便利サービス。2番目が、クレーム防止のために大量に記入された書類と読めないほど小さい文字の無意味な広告物。

この2点は解決するのはかなり至難の技である。音声操作の精度が上がり操作時の声に認識度の向上にかかっている。それも前段階での使用できるようにする操作が誰でも電源オンだけで自動で出来ることだ。初期期設定が難しいのでは意味がないからで、とかく便利な製品は初期設定でツマヅキ使うことを断念する事になることも少なくないのだ。

 

世の中の企業のクレーム防止の過剰反応も異常と感じる。特にテレビCMは外面上に多くの注釈が表示されまくる。健康補助食品が最も異常である。「これは個人の感想です」「撮影時○○歳」などあえて表示する必要のないことばかり。何件かクレームが有り表示するように防衛策として行っている処置なんだろうが。番組の提供会社表示時も背景に文字らしきものがあれば、その部分にすべてボカシを入れて提供文字を見やすくしている。こんな事まったくもって理解不能である。だれに気を使っているのだろうか。

話がそれたが、本当に便利なAI社会とは「誰もが簡単に」が根源になければどんな便利な自動製品が出たとしても一部の操作の得意な人だけの恩恵にしかならず本来その恩恵を一番受けたい高齢者に利用してもらえないという最悪な結果と成なる。

若い人が考えて高齢者向け製品を作るのは即刻やめるべきである。

若者が高齢者の真の気持ちになったとしても高齢者自身が納得できる製品などどう逆立ちしたとしても作れる訳がないのだ。たとえば盲目の人の気持が健常者にわかるか?分かるわけがない。その立場になっていなければ理解は出来ないのである。

これからの社会、この部分を踏まえ全ての人々が便利に簡単に生活のできる真のAI化を目指し製品開発を進めていただきたい。

 

交通網はすでに無人操縦の電車が有る東京では「ゆりかもめ」「日暮里舎人ライナー」大阪では「ニュートラム」など完全に前者には人は居ない。軌道上をコンピュータ制御で人が監視しているので比較的たやすいらしい。次は全自動自動車。この場合は軌道が道路になり乗用車の場合バイク、自転車、歩行者と共有しているためにかなりの精度が必要になり全自動電車ほど単純には行かない。命に関わる部分が絶対の技術力に支えられない限り実現出来ないことだ。

まずは命に影響のない製品の全自動化を実現してもらいたい。ネットによるドローン宅配。全国どこでも安価で配達してもらえればこんな便利なものはない。とかく高齢者は出かけることが困難な状況であるからで安全、便利、簡単なら利用者は多くなることだろう。

最後にネット社会がもたらしたことは、都会、郊外問わず同じサービスが利用できること。どんなに便利な都会に居ても、その場所に行くことが出来なければ田舎暮らしの人とさほど変わらない。ネットならそのギャップはほぼ埋めることが出来る。

インターネットを高齢者でも使えるようにする技術革新を早急に構築していただき真のAI化時代の恩恵をすべての人々に与えていただけるよう願ってやまない。

 
情報元:想出未来2019